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さざれ石について

【書誌】
 上巻のみ。寸法、縦33.0糎×横1105.5糎。巻子本。
表紙は、紺布地金糸金網紋様、兔・花形紋入で、見返しは金箔無地。
挿絵8図。料紙は鳥の子。漢字・平がな遣い、彩色絵で天地は金箔ちらし雲水模様、土佐大和絵風極彩精密画。江戸寛文頃の成立。

【内容】
 成務天皇には男女三十八人の御子がいた。末は姫宮であり、数多くの皇子たちの末子なので「さざれ石の宮」と呼ばれた。十四歳の時、摂政殿の北の方となった。姫宮は信心深く、朝夕、薬師の名号を唱えていた。ある日、金比羅大将が天降り、不老不死の妙薬の壺を姫に授け、姫はそれを嘗めた。その壺には「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という歌が書いてあった。以来、姫宮は巌の宮と呼ばれるようになり、成務天皇から清寧天皇の御代まで十一代、八百余歳、何時までも若々しい姿を保った。